社長に寄り添い本質をつかむアドバイスで経営支援
グローバルな視点を持ち、「地域資源」として生きる

馬場研二×村山由香里 対談インタビュー

日本の中小企業は約380万社。そのうち多くの経営者が事業継承に頭を悩ませています。ファミリービジネスの事業継承問題を豊富な経験で多角的に見定めアドバイスする「社長の強い味方」、それが馬場研二さんです。ベンチャー起業家や後継社長の教育や支援に力を注ぐ馬場さんに、ビジネスに対する想いを語っていただきました。
(インタビュアー 村山由香里)

普通の堅実な会社員からのスタートだった。

―大学教授、企業の社外取締役や監査役、ベンチャーやファミリービジネス支援の団体理事と、さまざまな立場でベンチャー企業支援や老舗企業の事業承継に関わっていらっしゃいます。仕事の仕方は、まさに今流行りのノマドワーカーですね。

はい。どこでも仕事できる仕組みを作っています。サイバー大学はキャンパスのない通信制大学なので出勤はありません。教えた学生は5000人を超えますが、講義はビデオに向かってしゃべるんですよ。今でこそグローバルな視座で仕事をしていますが、以前は「イモ九」と呼ばれていた地方の青年でした。九大を出て福岡銀行に勤めるサラリーマン。

―「イモ九」、懐かしい! 九大生はダサくて西南はお洒落、福大はバンカラって感じでしたね。最近は九大もカッコいい男子が増えてきましたが。馬場さんは、大学も地元、就職も新卒では地元の銀行に入られたんですね。

あまり人生に迷ってなかったというか、選択肢が少なかったので。働くなら地元で。地域に貢献したいと思っていました。ところが、福岡銀行ではほとんど東京勤務なんです。27才でアメリカのボストン大学へ留学しMBAを取り、帰国後10年間東京で働いて銀行を辞めて、福岡に戻ってきました。自分は「地域資源」でありたいと思っています。

―地域に貢献したいというのは、学生時代からの変わらぬ思いなんですね。

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グローバルに目覚めた時。留学は大きな転機。

―馬場さんにとって、いちばんの転機は何ですか。

27才での海外留学ですね。グローバル社会のなかで、かなりのストレスでした。日本人留学生はいわゆる育ちがいいおぼっちゃんばかり。「イモ九」と呼ばれる垢抜けない九大出身の人なんていないんです。毛並みのいい人たちと一緒にいるストレスと、語学力のジレンマがありました。そうそう、ボストン時代、あまりにダサい格好だったので、僕の師匠が見かねて、店に連れて行って、頭のてっぺんから爪先まで一揃えアレンジしてくれました。

―馬場さんのそのお洒落さは、ボストン仕込みなんですね。メガネも派手だけど、とてもお似合いです。

ずっとファッションに無頓着でしたが、ここ10年くらいはサイバー大学でのビデオ撮りなど見られる仕事が増えて、外見を意識するようになりました。「服は自分のためじゃなく、相手への礼儀だよ」と教えてくれた当時の師匠の教えが生きています。

―転機の留学についてもう少し聞かせてください。

はい。福岡銀行で留学制度ができ、第一期生で選出されボストン大学へ行きました。ディスカッション形式で経営戦略など学びました。カルチャーショックをすごく受けましたね。修士(MBA)の授業の中身は日本の学部とそう変わらないけど、英語のハンディキャップがつらかった。「言いたいことはあるのに言えない。内容はわかるのに英語で話せない」ジレンマを克服しようと、2年間がんばってなんとかしゃべれるようになりました。出会った仲間とは今もつながっていて、刺激を受けています。それまで普通の田舎のサラリーマンだったのが、グローバルに目覚めた、という感じでしょうか。

―挫折を経験したことのない優等生にとって、留学は自分の価値観を揺るがすような衝撃だったんでしょうね。その福岡銀行を辞められたのはなぜですか。

東京支店で国際金融業務をしていたのですが、1997年のアジア通貨危機後、福岡銀行は国際業務から撤退、1999年に海外支店が全て閉鎖されたんです。所属していた国際部がなくなったのを機に退職しました。ずっと国際部門でやってきて国内部門の仕事はしたことがなく新卒みたいなもの。なら38才で転職するか、と。当時はITバブルの時代でした。

―ITバブルもあっという間に終わりましたね。

そうなんです。留学仲間の伝手でヘッドハンティングの会社に誘われ東京で1年ほど仕事した後、ITバブルが崩壊。その時、東京の新聞にMBA取得者採用募集が麻生グループから出ていて、福岡に戻るきっかけになりました。そこで教育・人材、建設、不動産、病院、セメントなど多岐にわたるグループ企業の経営戦略に関わりました。麻生グループが、まさに巨大な「ファミリー企業」だったんです。

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経営者に寄り添い、フラットに意見を言う。

―ファミリー企業へ目が向くきっかけは麻生なんですね。

約15年間、ファミリービジネスの社長交代する過渡期を社長直属で仕事しました。先代から今の社長へ交代する場面に居合わせた。事業継承の際に、継ぐべきことと、変えるべきことの両面から経営戦略策定の根幹に関わらせてもらいました。巨大企業の事業継承を目の当たりに見てきたことは大きな経験です。また、グループ企業が70社以上ありましたので、多岐に渡る業界の経営戦略を社長の横でずっと見てきた経験が、独立後にも生かされています。

―社長のご経験もないのにどうして今のようなお仕事がおできになるのだろうと、失礼ながら、思っていたんです。合点がいきました。

社長業を経験してコンサルタントになる人はいますが、多くの方は自己流です。僕はMBAの学びと多様な業種の社長さん達と日常的に関わってきた経験から、客観的に見ることができます。なので、ベンチャーや老舗企業でいろいろお手伝いができているようです。

―さまざまな社長がいらっしゃるなかで「成功する社長」はどんな方ですか?

常に学習し、成長しようとする方ですね。成功している社長は、謙虚に学ぶ方が多いです。僕が教えているサイバー大学にも社長が多いんですよ。過去の失敗した事例を思い出しながら「これが大事だったのか!」と気づいたりされます。でも、MBAで教えるのは、実はスタッフやサポーターとしての知識なんです。社長はそのスタッフを「どう使うか」が大事です。社長一人でぜんぶできませんしね。そういう意味でも「会社とは何か」を本質的に学べる環境は必要だと思っています。

―なるほど。MBAは、社長でなく役員や管理職向きのカリキュラムなんですね。

はい。ビジネススクールには、経済のしくみや理屈を教える人はいても、実践的な学びを教えられる人は少ないんです。気づきを与える役割も含め「社長業」の大事なポイントを教えることができる僕の立場は貴重だと思っています。

―社外取締役や監査役を6社もされていますね。

自分の得意分野を売り込むコンサルタントではなく、社長のかかえたさまざまな課題を一緒に解決していきましょうというスタンスで、社外取締役や顧問、監査役、アドバイザーなど、相手が望むかたちで寄り添います。ベンチャーなら「人ない・客ない・お金ない」からどうするか。老舗企業では、「これからの事業をどう創っていくか」。それぞれのステージで「次の打ち手」を見出していきます。ベンチャーの最近のケースでは、提携先を探したり、資金調達のアドバイスを求められ応じたり、具体的にマッチングするなどがありました。

―社長の片腕のような重要な役割ですね。

僕のスタンスは、媚びないこと。相手に取り入ろうとしない。あくまで「社長業はこうですよね」とフラットに伝える。そのあたりはブレていません。依頼される経営者に多いのは、僕と知り合って2年くらい観察されている。僕の評判とか相性とかを見定めしばらく経ってから、実は、と依頼されるケースです。知り合いの知り合い、など紹介のみ受けています。

家族経営の企業は、同族企業に誇りを持つ。もっと自信を持ってほしい。

後継者不在からの脱却。ファミリービジネスに誇りを持つ社長を育てたい。

―理事をされている日本ファミリービジネスアドバイザー協会はどんな協会ですか。

ファミリービジネスアドバイザーの養成と交流を目指す協会です。税理士、弁護士、社会保険労務士、経営コンサルタントなどの専門家がファミリービジネスのアドバイザーになるための認定講座を中心に、セミナーを開催したり、交流をしたりします。

―馬場さんは立ち上げメンバーなんですね。

僕は、ファミリービジネスに注力するきっかけとなった麻生グループで、まさに父親から息子に代替わりのシーンに関わってきました。無事継承し5年経ち、落ち着いて辞めました。その時点で売上は倍増、利益は10倍を達成。「あとは僕の出る幕はないですね」と。ファミリービジネスである麻生グループで感じた代替わりにおける課題などについて自分が悩んだ当時のプロセスをヒントに、ファミリービジネスのさまざまな課題を解決できるよう、協会を立ち上げました。

―日本に中小企業は約380万社。経営者も高齢になり、後継者がいなくて廃業する会社も増えています。

日本は世界一の“老舗企業大国”なんです。200年以上の歴史を持つ企業は世界に約8800あり、そのうち日本に約4000社あって、ダントツです。しかし、日本の家族経営の企業は、同族企業に誇りをもっていないんです。アメリカ流の上場企業中心のビジネス慣習に影響を受け過ぎています。ヨーロッパはファミリービジネスが根づいているんですよ。

―エルメスやフェラガモなど、ブランド企業の多くがそうですね。

2019年春に、協会で視察団を作りイタリアに行きました。ミラノのボッコーニ大学のPaolo Morosetti教授に案内いただき、フェラガモ社、フレスコバルディ社やサンタ・マリア・ノヴェッラなど、びっしり訪問しました。僕が団長で30人の視察団だったのですが、すごくよかったですよ。イタリアは、ファミリービジネスの研究が進んでいて、大学できちんと講座があります。日本はまだ早稲田大学などいくつかしかありません。ヨーロッパは自分たちのビジネスに誇りをもっています。かたや日本は、親も子どもに事業を継がせようとしない。もっと自信をもってほしいと思います。

会社の仕組みを知り、そこでどう働いていくか、知識と実践をともに身につける

だから、教育が必要。

―ファミリービジネスに特化した経営学は日本にないんですね。

少ないですね。理念や家訓は現場にはあっても、ちゃんとした研究はごく少数です。経営アドバイザーのコミュニティもなかった。ある調査で、親の事業を継ごうと考えている子どもはたったの4%という数字が出ています。調査結果からも、ファミリービジネスに対する消極的な姿勢が伺えます。日本は、古くからある会社の数では世界一を誇る一方で、ファミリービジネスの研究がほとんどなされていない。だから自信もない。3代以上続く老舗企業は、今は損してもあとで儲かればいいと長期的な視点で目の前の損を取ることができます。長期的な行動規範があるから、永続できるともいえるのです。社長の任期が短いと荒波を乗り越えられない場合があります。

―ファミリービジネスに注力される一方で、ベンチャー支援もされていますね。

日本MITベンチャーフォーラムでは、20年前からビジネスプランコンテストを開催して、ベンチャー起業家のビジネスプランの指導をしています。実は、ファミリー企業も後継者にはベンチャーマインドが必要なんですよ。先代がやってきたことを継続するだけでなく、時代に合わせて自分流のビジネスに転換していく、ある意味、最初から起業するより難しいかもしれません。

―なるほど、そうですね。企業は去年と同じことをしていたら落ちていくだけ、企業経営25年してきた実感です。年齢の高い役員や幹部社員と折り合いをつけて、新たなものに挑戦するのは大変そう。コンサルティングや教育を受けたら変わりますか。

変わります。アドバイザーとして実績も出ています。ファミリービジネスの観点を学べば会社が変わります。社長として、スタッフとして、「いま自分が何をしているか」「何をしなければいけないか」がわかる。これってすごく大切です。多くの人は会社に所属して働いていながら「会社って何?」のそのものがわかっていない場合がほとんどです。会社の仕組みを知り、そこでどう働いていくか、知識と実践をともに身につけるのは経営者として武器になります。後継者にはその武器とも呼べる知識が少ない人が多い。だから教育が必要だと考えています。

-馬場さんは広い人脈をお持ちですね。

ファミリービジネスを支援する協会には250名の会員がいて、皆さん現役でプロフェッショナルに活躍されている方ばかりです。ベンチャー支援のNPOにも100人以上の専門家が関わっているので、顧問先に自分の手に負えない経営課題が出てきたときには、いつでもリアルに相談できる人達が周りにいます。
東京で働いていた30歳代には、政・財・官の若手エリートの異業種交流会の事務局長をしたりして、広い人脈を得ました。MBA会みたいなのもありました。その頃の飲み友達は皆さん出世されて要職に就かれてますね。今でも定期的に集まっています。

―馬場さんにとっての仕事の喜びはどんなことですか。

「ありえない出会い」をつないだことをきっかけに企業が前に進む流れをつかんだ時、喜びを感じます。そのために僕は「場」をつくったり、マッチングします。必要な人に必要な人や情報をつなぐのは、僕の得意とするところでもあります。例えば、資金繰りに行き詰まった会社に資本提携先をつないで生き残った事例などあります。人は会うべき人に会う必要があるんです。古いものに固執しすぎず、新しさに流されるのでもない、それぞれを両輪にして永続的に進んでいける企業のサポートをこれからもしていきたいですね。

—ありがとうございました。馬場さんのような方が増えれば、ファミリー企業が自社に誇りを持ち、日本全体が活気づきそうです。これからのご活躍、ますます期待しています。

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馬場研二 独占インタビュー
Conducted by Freudale Web Production
Interviewer: 村山由香里
Photographer: 平川雄一朗

取材後記

東京のDBJ女性起業コンペティションの表彰式などでお見かけする馬場さん。「麻生にいらした」のは知っていても、何をされているのか、よくわかっていませんでした。こんなに詳しくお話する機会がもっと前にあれば、アヴァンティの社外取締役になっていただいたり、アドバイスをいただいたりできて、「何か」が変わったのではないだろうか。人生に「たられば」はないけれど、そんなことを想像した取材でした。社会環境の変化の大きな時代に、温かい心と冷静さで社長を支援する馬場さんの存在は大きい。

村山由香里

株式会社フロイデール WEBプロダクション
編集長兼チーフインタビューアー

「働く女性を応援する」をコンセプトに女性たちが活きる働く「今」を取材し、時代の息吹を伝えた。最高発行部数32万部。福岡、北九州、熊本でアヴァンティを発行。あすばる館長として、経済界との連携や、次世代女性リーダー養成講座「ふくおか女性いきいき塾」の開催、男女共同参画を発信など先駆的な取り組みをし、現在は、講演、研修、執筆活動に加え「天神キャリア塾」をスタート。女性のみならず男性経営者へも“寄り添いながら引き出す”インタビューで良質なコンテンツの創造に尽力している。