2020年に東京で再びオリンピックが開催されることが決まり、話題となっています。
1964年(昭和39年)という年は、自分は生まれたばかりだったので、かろうじて想像ができるくらいです。
同族経営について、当時はどのように考えられていたのか、とても興味を持っています。
日本の経営者の意識というのは、戦後の高度成長の頃、すなわち前回のオリンピック以降に大きく変わったのではないかと私は推測しています。
つまり、大企業が大きな雇用の担い手となって、グローバルの展開していく中で、同族経営は、陽の当らない、遅れた仕組みであるということが強調されてきたようです。
以下は当時の経営者向けの実用書からの抜粋です。
この本が出版されたのは1966年、東京オリンピックの2年後です。
少々長くなりますが、引用いたします。
<引用開始>
新しがり屋の社長、特に2代目の若社長などに見られる悪い傾向が1つある。
それは「同族会社の欠陥は家族臭があることだ。さあ、わが社は、この家族臭を吹き飛ばそう」などと力んで、その結果会社をまずくさせてしまう。
一体、家族臭の何処が悪いのだろう。大学出の2代目社長はこういう。
「従来、封建思想が徹底的に家庭の中に持ち込まれ、家父長制という形態がとられた。国家と家庭は親子のような関係と言うように叩きこまれた。
それは企業体においてもそうであり、経営者は親であり、社員は子であった。
だから、社員は国家が最大の親であり、経営者が親であり、また家では肉親の親と言うように3人の親を持つわけだ。
だが、戦後、民主主義の世の中になり、家父長制も崩壊した。そして20年を経過した今日、企業内に家族臭を持つなどというのは、時代錯誤も甚だしい」と。
確かにそのような家族臭は、今日持ち続けるのは得策ではないだろう。
だが、真の家族臭というのはFamiliar(親しい、親密な、心安い)と言うことである。これが今日の企業経営にどんなマイナスになるのだろうか。
また、ここで1つ思い起こしていただきたいことがある。それは、私たちは、何千年と言う古い歴史を持つ日本に住んでいる。生活をしている。そこには日本人独特の風土性があり、思想がある。私は家族的であると言う事は、
日本的なものの1つだと思う。大いに結構ではないかと思う。
しかし、そうは言うものの企業経営イコール家族的ではない。
あくまでもビジネスの原則に則り、潤滑油として家族臭を使うことである。
(「同族会社の経営法」昭和41年7月15日発行 田中要人著 池田書店)
<引用終了>
この若社長のように「時代錯誤」であるものとして同族経営を否定してきたのが、これ以降の世の中の風潮だったのでしょう。
この著者は、新しがり屋の若社長に見られる「悪い傾向」ととらえていたことが興味深いです。
100年企業、200年企業を育てていくことを考えると、直近の50年間に変化してきた風潮が、改めて検討されてもよい時期にきているのではないかと考えています。
7年後の2度目の東京オリンピックの時までには、グローバルスタンダードでの、同族経営についての理解が深まっていることを期待しています。